三浦樗良(みうらちょら)は、本名を三浦元克(みうらもとかつ)という俳人です。
出身地について、伊勢市説、鳥羽市説、紀北町紀伊長島区の地蔵町説があります。
紀伊長島の百雄に教えをこい、 俳諧の道に進み、江戸や京都などを転々とし墓は
伊勢市にあります。32歳のときには、熊野市新鹿を訪れ、そのまま滞在して最初
の句集『白頭烏集』を編纂しました。 新鹿には英文句碑が建立されています。紀
北町では、昭和33年、赤羽川河口に漁火吟社の人々の尽力により樗良名月句碑が
建立されました。
新鹿地区の有志で樗良祭が継続されています。昔は、学校でも関わっていたのか
句集があったり樗良祭にみんなで出かけたりしたときもあったようです。