電話でのお問い合わせはTEL.0597-82-0017
〒519-4442 三重県熊野市神川町神上63
日本各地に伝わる昔話や伝説には蛇を主人公にしたものが多く存在します。熊野地方にも神川町の隣町、育生町と北山川を挟んで対岸に位置する和歌山県北山村の地には、美女と蛇にまつわる話が有名な伝説として残っています。
『久保の小女郎(こじょろう)』
昔、[大沼]に「久保の小女郎」(一説には小白ともいう)と呼ばれるたいそう美しい娘がいました。その髪の毛も非常に長く、櫛で梳かすにも、竿にかけて梳かさなければいけないほどでありました。ところが、この娘は毎晩決まった時間になると何処かへ出かけていき、朝になると草履は濡れて草がついていました。
両親は不審に思い、話し合った結果、娘の着物の袖に白い糸をぬいつけておき、夜、小女郎が家を抜け出した後、その糸をたどって行きました。すると、糸は北山川を渡り[大井]の蛇の池まで続いて、池の中に没していました。
母親は声をあげて、「小女郎、ひとめ顔を見せろ!」と言うと、ザワザワと水面が波立ち、中から小女郎が姿を現しました。
その姿は、顔だけが人間で身体は蛇体になっていたのです。小女郎は池の主の落とし子であったといわれています。
([向地]の伝承)
[長井]の伝承によれば、小女郎が毎晩家を抜け出すのは、美男子に化けた池の主に会うためだったとして、両親に見つかった小女郎はもはや生きていられないとして池へ身を投げた。その後、小女郎は蛇に化けて出てきて、強雨など天災を起こした。それで、その霊を沈めるために田野野峠の上に蛇を2匹彫った石碑を立て小女郎の霊を祀ったとされています。
[花知]の伝承では、小女郎が池へ出かけていったのではなく、池の主である蛇が美男子に化けて毎晩、小女郎の家に遊びに来たと伝えられており、池も蛇の池ではなく、つの池であったといわれています。
[大沼]でも、つの池から有馬まで空洞になっていたため小女郎がつの池へ傘をもって入ったら、有馬の池にその傘が浮かんでいたといいます。
(「紀伊 熊野市の民俗」大谷大学民俗学研究会編より)
<小女郎の石碑(蛇地蔵)>
小女郎の石碑は育生町田野野峠に続く山道途中にひっそりと建っていました。地元では蛇地蔵様と呼ばれていて、歯がうずいたときなどには、この地蔵様に願掛けのお参りをすると不思議と痛みが和らぐのだそうです。
<田野野峠>