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〒519-4442 三重県熊野市神川町神上63
【日暮(ひぐらし)山】 <標高723m>
学校の校庭から南側の山々を眺めると、そこには、標高723mの日暮(ひぐらし)山がそびえ立っています。この日暮山を越える峠道は、昔、神川~育生に抜ける里道でした。
「紀伊南牟婁郡誌」には、次のような記述が残されています。
「旧神川村を南北に分ける日暮山が、これを越える道は長原より赤倉にいたるものと、長原から尾川にいたるものと、同じく神上にいたるものがあり、いずれも里道にして峻坂なり。」
【辞職峠】
昔、大正~昭和の前期、主として公務で赴任のため、辞令を受けて、この日暮峠を越えるとき、初めての者は、山又山の険しさに、心細くなり、道々辞職を考えて歩いたといいます。
特に若い、都会育ちの新任の小学校女教員などは、船で木本へくるだけでも大変だったのに、そこから *いやの山を越え、さらに日暮峠を越えるのですから半ば泣きながら歩いたともいいます。
木本を出るとき、役所で、「大丈夫か」と励まされ、「あの娘は途中から戻ってくるだろう」と噂したそうで、よって、日暮峠のことを辞職峠と云ったわけです。
(「幕末の北海道写真師 田本研造と熊野」岡本 実著)より
〈七色ダムから日暮山を望む〉 <日暮山の朝霧>
※いやの山
昔、大峪峠は神上~木本まで片道3時間はゆうにかかり、特に真冬の向かい風は身を切るような冷たさであったことからも、大峪のことを「いやの山」と云ったそうです。